【涙そうそう】夏川りみ
今日のお話は、【涙そうそう】の歌詞に沿った話で、別々の施設からもらわれてきた男の子と女の子のお話です。男の子は女の子を本当の妹ではないことを知っていますが、妹は幼かったので知りません。
残念なことに養父母は交通事故で亡くなるわけですが、養父母は男の子に「妹を守るように」言ってきたので、妹を最優先にして大事に育ててきました。
そういう背景があるお話の続きです。
Ⅰ.春の海、ふたりの影
海風が唇を撫で、太陽が透き通る青を投げかけてくる。
幼い私は、まだ波打ち際の砂に足を取られながらも、兄の背中を追いかけていた。
「待って、兄さん!」
声を張り上げても、兄は振り返らない。
けれど、笑い声だけが潮風の中に残っていく。
「おまえが追いつけると思うか!」
その声が空を渡り、私の胸に響いた。
その瞬間、世界は兄の声で満たされていた。
兄は知っていた。
私が“本当の妹ではない”ことを。
けれど私は、そんなことを知らず、ただ信じていた。
私たちは血のつながった兄妹なのだと。
――だから私は、ためらいなく「兄さんが大好き」と言った。
ふたりが違う場所から来た子どもだと知らぬ私は、
風の中で、兄と同じ景色を見つめていた。
その時間が、私にとってのすべてだった。
それでも、心のどこかでは「兄が大好き」と思う自分がいた。
胸の奥で小さく響く、秘密の音のような感情。
言葉にすれば壊れてしまいそうで、ずっと黙っていた。
兄は守ってくれる人。
妹である私は、その背中の少し後ろで、ただ歩幅を合わせていればよかった。
Ⅱ.アパートの灯り
高校に進んだ春、兄とふたりで狭いアパートに暮らし始める。
雨の日になると天井からぽたぽたと雨漏りが落ちる。
「またかよ…」
兄はそう言いながら、無言で雑巾を取りに行く。
私はその姿を見つめ、静かに息を漏らした。
この部屋がこんなにも愛おしく感じられるのは、どうしてだろう。
「おまえ、ちゃんと勉強してるか?」
「うん、がんばってるよ」
返した言葉の向こうに、兄の優しさが透けて見える。
その気配が胸の奥で温度を生み、心をほぐしていく。
けれど、それだけでは足りない。
「兄さん、私、どうしても──」
声に出せぬ想いを飲み込み、笑顔の裏に隠した。
兄の笑顔を見るたび、胸が少し痛む。
Ⅲ.嵐の夜
あの夜の記憶は、今も波の底に沈んでいる。
暴風雨が島を覆い、船の上の兄の声が消えた。
時間が止まったように、世界が静まり返る。
電話の向こうで、しんとした沈黙だけが続く。
「兄さん…?」
震える声を押し出す。
「おまえ、大丈夫か?」
遠くで確かに聞こえたその声が、最後の記憶になった。
それからの数日は、現実という名の霧の中を漂うだけ。
葬儀の日、棺の中に兄はいない。
焦げた写真と、あの日の潮の香りだけが残っていた。
「兄さん…」
嗚咽とともに叫んでも、誰も答えない。
胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちていく音がした。
Ⅳ.涙そうそう
あの日から、アルバムを何度もめくった。
写真の中の兄は、変わらぬ笑顔でそこにいる。
その笑みを見るたび、息が詰まるような痛みが走る。
「会いたい…」
声にしても、もう何も返らない。
世界は音を失い、色も遠ざかる。
そのとき、ラジオから流れてきたのは「涙そうそう」。
優しいメロディーが胸を包み、涙が頬を伝う。
「兄さん…」
心の中で何度も呼びかける。
「どこにいるの…私、どうしても会いたいの」
Ⅴ.星になる
月明かりの下、星々が兄の瞳のように光っていた。
私は夜空に手を伸ばす。
あの向こうに、兄はいる気がする。
「兄さん、見てる? 私、頑張ってるよ」
返事はないけれど、確かに胸の奥で何かが頷いていた。
兄は、今も私の中に生きている。
その存在が、私に前へ進む力をくれる。
Ⅵ.終章――祈りの海
島に戻ると、海は昔のまま、どこまでも広がっていた。
潮風が髪を揺らし、砂が足元で静かに流れる。
岬に立ち、深く息を吸い込む。
「兄さん…ありがとう」
その言葉を風に乗せるように、そっと放つ。
空も海も、そして兄も、私を包み込んでいる気がした。
ふと足元を見ると、砂浜には私の足跡だけが続いていた。
それは、これからも歩み続ける私自身の証。
夜空にひとつ星が瞬く。
その光に、私は笑顔を返す。
「またね、兄さん」
星が静かに瞬き、まるで返事をしてくれたように見えた。
【結びの言葉】
兄を失っても、私は思い出とともに生きている。
涙は今も頬を伝うけれど、それは悲しみではなく、愛の証。
その一滴が、また私を強くしてくれる。
星空の下で兄を思いながら、今日も私は静かに歩き出す。
ーほいたらねー
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【涙そうそう】夏川りみ