『近いから』と引き受けた母の介護──兄妹の言葉が一番つらかった
「近いからお願いね」
兄のその一言で
私の人生は少しずつ
母中心に回りはじめた
実家から車で15分
確かに私の家が一番近かった
母の顔を見に行くのは
最初のうちは
週末の楽しみのようなもだった
でも、父が亡くなり
母がひとりになり
少しずつ「ありがとう」の電話が
「悪いねぇ、お願いね」に変わっていって
生活の重心が傾きはじめた
兄と妹は県外に住んでいる
「母さんのこと頼むよ」
「遺産は全部あげるから」
と言ってくれたとき
私はそれを“信じた“
でも、今になって思えば
あれは“責任逃れ”だったのかもしれない
遠くにいる二人にとって
母の介護は
“仕方がないけど関われないこと”であり
近くにいる私にとっては
“断れない現実”だった
82歳の母が玄関先で転倒し
太ももを骨折した
入院、手術、リハビリ、退院
そのすべてに私は付き添い
事務処理・金銭処理をした
仕事を早退し、家を空け
書類を出し、介護用品を買い……
「これも親孝行だ」と思っていたが
気づけばパート収入は減らし
家計も赤字になった
母は要介護2。
ヘルパーさんを頼もうとすると
「他人に体を触らせたくない」と母が拒否
結局、入浴から洗濯まで
私がやることになった
兄も妹も、
母が倒れた直後に
一度見舞いに来ただけ
「大変だったね」
「助かるよ」
そう言いながら
日帰りで帰っていった
それから3年間
母の介護は私ひとり
疲れ果て、85歳になった母を
しかたなく特別養護老人ホームに入れる
決断をした
入所の日、母は涙をこぼしながらこう言った
「家に帰りたいよ。
なんでこんなことになったのかねぇ……」
その言葉に胸が詰まった
でも、兄の次の言葉で、別の涙が出た
「母さんが嫌がってるのに、
無理やり施設に入れるなんて」
「お姉ちゃん、ラクしたかったんだよね
だったら遺産はちゃんとわけようね」
近いって、便利だけど
責任も距離も近づく
介護はなぁなぁで
引き受けるものではない
たとえ家族でも
きちんと話し合って
「どう支えるのか」
「費用はどうするのか」
そして
「感謝をどう形に残すのか」
まで決めておくことが
家族の思いやりになるのだ
「親の世話は、愛情だけでは続かない
そこには“約束”と“仕組み”が必要だ。」
ーほいたらねー
-----------------・-----------------
永井龍雲 【星月夜】
最後までお読みくださりありがとうございました。
にほんブログ村