【渡良瀬橋】森高千里
「ふぅ、今日も暑いなぁ……」
大汗をぬぐいながら取材の足を止め、タカシは《青空》という喫茶店の扉を開いた。
カラン、と鈴の音。
そこに立っていたのは、ノブだった。
小さなエプロン姿で、ふわっと笑う。
「いらっしゃいませ」
「アイスコーヒーを……いや、やっぱりレモンスカッシュ」
「はい、すぐに」
それが始まりだった。
翌日も、その翌日も。
タカシは昼下がりに《青空》に現れた。
「よく来られますね」
ノブが笑いながら言うと、タカシは肩をすくめて答えた。
「毎日来ちゃあいけないのかよ」
その笑顔が、ノブの胸を不思議に熱くした。
いつしか二人は、仕事や家族のことを語り合うようになっていた。
ある日の夕暮れ。
渡良瀬橋の上に並んで立ち、二人は沈む太陽を見つめていた。
「きれいだな……」
タカシがつぶやく。
「そうでしょう?私、この夕陽がいちばん好きなんです」
ノブも目を細めた。
その横顔を見つめながら、タカシがぽつりと言う。
「……ずっとここに住めたらいいな、住みたいな」
ノブの心臓がドキッっと跳ねた。
だがすぐに、現実が覆いかぶさってくる。
別の日、八雲神社の石段を上りながら、ノブが尋ねた。
「ねえ、お願い事は何にしたの?」
「そりゃあ……仕事がうまくいくことかな」
「えぇーー!! それってつまんなーい」
タカシは少し黙り込み、苦笑した。
「……俺、一人っ子でさ、東京の実家を離れるわけにはいかないんだ」
ノブは一瞬、言葉をなくした。
やがて小さく頷く。
「……私も一人っ子。両親が病気でね、足利を出ることはできないの」
二人は立ち止まり、風鈴の音に耳を澄ませた。
沈黙が、答えを物語っていた。
床屋の角にある公衆電話。
東京に戻ったタカシに、ノブは何度もかけようとした。
「……声が聞きたい」
震える指でダイヤルを回しかけては、受話器をそっと戻した。
──もう、これ以上は望めない。
そう自分に言い聞かせるように。
そして今。
ノブは再び、渡良瀬橋に立っている。
「タカシさん……」
夕陽が川面を赤く染める。
二人で見たあの日と、何も変わらないはずなのに、隣に彼はいない。
胸に残るのは、最後に交わした言葉。
『俺たちは……お互いが好きだよな』
『うん……でも、一緒にもなれないのよね』
ノブの目から、大粒の涙がこぼれた。
それから、三年。
ノブは変わらず、この橋を訪れる。
季節の移ろいとともに、夕陽の色も少しずつ違う。
でも、胸の痛みだけは変わらなかった。
「……好きでした」
毎年、暮れゆく空に向かってつぶやく言葉。
やがて街の灯がともる。
夕暮れの渡良瀬橋は、今もタカシが愛したままの姿で、そこにあった。
ーおしまいー
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【渡良瀬橋】森高千里
渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ
きれいなとこで育ったね ここに住みたいと言った
電車にゆられこの街まで あなたは会いに来てくれたわ
私は今もあの頃を 忘れられず生きてます
今でも 八雲神社へお参りすると あなたのこと祈るわ
願い事一つ叶うなら あの頃に戻りたい
床屋の角にポツンとある 公衆電話おぼえてますか
きのう思わずかけたくて なんども受話器とったの
この間 渡良瀬川の河原に降りて ずっと流れ見てたわ
北風がとても冷たくて 風邪をひいちゃいました
誰のせいでもない あなたがこの街で
暮らせないことわかってたの
なんども悩んだわ だけど私ここを
離れて暮らすこと出来ない
あなたが好きだと言ったこの街並みが
今日も暮れてゆきます
広い空と遠くの山々 二人で歩いた街
夕日がきれいな街