スキマスイッチ - 「奏(かなで)
スキマスイッチ の「奏(かなで)が聴きたくなって
またこの小説を再掲した。
実はこの歌は僕の望郷の歌なんだ。
海に迫る山々とリアス式の海、みかん畑。
書かなかったけど、石灰石の山。
なにもかもが想い出だけど
もう故郷には僕の足跡もないだろうから
この記事を書いて故郷を思う。
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僕の町は、海へ延びるリアス式海岸にぽつんとある小さな場所だった。家々の間を走る道は細く、冬の朝にはみかん畑から白いもやが立ちのぼる。人口は年々減り、若い人たちは春になると家を出ていく。短大や専門学校もないから、夢を追うには町を離れるしかない。僕は長男だから、この家とみかん畑を守るために、ここに残ると決めていた。選んだ道だ。けれど、決して簡単な選択ではなかった。
まゆみは、近所の家の娘だった。二つ歳が離れているだけで、子供の頃はほとんど兄妹のように過ごした。転がるように笑って、雨の中で濡れそぼって帰り、夕暮れに二人で畦道を走った。彼女の笑顔は、僕の毎日の輪郭をはっきりさせてくれた。朝の光がいつもより柔らかく思えたのも、彼女がいるからだと後になって気づいた。
成長するにつれて、僕らの距離は少しずつ変わっていった。遊び仲間だった時間が、互いの手の温もりを確かめる時間に変わった。気づけば、まゆみは僕にとってなくてはならないものになっていた。僕が畑に出るのを覚えていてくれて、疲れて帰ると夜の台所で話を聞いてくれた。彼女も、大事なことは言葉ではなくて仕草や眼差しで伝えてくれた。そんな日々の積み重ねが、僕らの絆を作っていった。
ある秋の日、まゆみが都会の会社に就職が決まったと知らせてくれた。嬉しい知らせのはずなのに、胸の奥がしゅんと冷えた。彼女の未来を応援したい気持ちと、目の前から消えてしまうような寂しさとが混ざった。彼女の家の食卓で、二人して黙り込んだ。言葉はうまく出てこなかった。結局、僕はただ手を取って「行ってこい」とだけ言った。彼女はふっと笑って、でもその笑顔の奥に困ったような寂しさが光っていた。
出発の日、駅まで見送りに行った。改札の前はいつもより人が多く感じられ、冷たい風が線路に沿って吹いていた。いつものざわめきの中に、明らかに新しい空気が混ざっている。僕は彼女の手を繋いだ。いつもと同じ手のぬくもりが、これが最後かもしれないという事実をひどく鮮明にした。明るく送り出すつもりだった。けれど、笑顔はぎこちなく、言葉はうまく出なかった。彼女の顔を見ていると、胸が詰まってしまう。
「ただの見送りだよ」と自分に言い聞かせるたび、幼い日の思い出が浮かんでは消えた。畑で一緒に土を触った日々、祭りの帰りに二人で並んで食べたたこ焼き、風邪をひいた僕にこっそり薬を用意してくれたこと。そんなものが、重なって僕をここに繋いでいたのだと分かった。
改札のすぐそばで、電車のベルが急に鳴った。人の波が動き、彼女の手からほんの少し指が滑った。焦った僕は、思わず呼び止めた。周りの声が一瞬薄くなって、僕は彼女を抱きしめた。ぎこちない行為かもしれない。けれど、その短い抱擁の中で伝わったものは多かった。守りたいという決意と、離れても変わらない想い。そして、もう一度だけ、彼女の温もりを確かめたかった。
彼女は目を閉じて、僕の胸に顔を埋めた。肩の震えが止まらない。僕は肩をそっと抱いて、何も語らずにただその震えが収まるのを待った。周りの世界は動き続けているのに、そこだけ時間がゆっくり流れた。やがて彼女が顔を上げると、目に光るものがあった。ふたりで過ごした日々が、これから迷ったときの道しるべになる、と静かに思った。
「行ってらっしゃい」と、ぎこちなく笑ってみせる。まゆみはほんの少し息を整えると、つぶやくように「行くね」と答えた。その声は遠くの方へ消えていったけれど、僕の中には確かな響きとして残った。離れても、あの声は僕の中で生き続けるだろう――そう感じた。
列車がゆっくりと動き出す。まゆみの顔が窓越しに小さくなっていく。僕は腕の中で震えていた日々のすべてを思い返した。悲しさに押し潰されそうになる瞬間もあったが、同時に嬉しかったこと、楽しかったことが胸いっぱいにあふれた。彼女がくれた光は、僕の世界を確かに照らしていた。
別れのあと、僕は畑へ戻った。みかんの木は今年も静かに実をつけている。収穫の季節が巡るたびに、あの日の駅の風景と、彼女の笑顔が頭をよぎる。僕は朝、畑仕事をしながら小さな声で歌を口ずさむことが増えた。歌は宣言ではなく、約束のようなものだった。遠く離れた場所にいる彼女に向けた、僕なりの「守るよ」の言葉だ。彼女がどこにいても、僕の声が届くように――届かなくても、僕はいつもここで彼女の輝きを思っていることを、歌に乗せて届けようと思った。
季節は巡り、人はそれぞれの場所で生きていく。けれど、重ねた日々は消えない。雨の日も晴れの日も、僕らが共有した時間が、いつも二人をそっと導いてくれる。だから僕は、畑の端に立って風を感じるたびに、彼女のことを思い、そして自分の声で守ると静かに誓うのだ。いつかまた、どこかで笑い合える日が来ることを信じて。
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スキマスイッチ - 「奏(かなで)
改札の前つなぐ手と手 いつものざわめき、新しい風
明るく見送るはずだったのに うまく笑えずに君を見ていた
君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた
君の手を引くその役目が僕の使命だなんて そう思ってた
だけど今わかったんだ 僕らならもう
重ねた日々がほら、導いてくれる
君が大人になってくその時間が
降り積もる間に僕も変わってく
たとえばそこにこんな歌があれば
ふたりはいつもどんな時もつながっていける
突然ふいに鳴り響くベルの音
焦る僕 解ける手 離れてく君
夢中で呼び止めて 抱き締めたんだ
君がどこに行ったって僕の声で守るよ
君が僕の前に現れた日から
何もかもが違くみえたんだ
朝も光も涙も、歌う声も
君が輝きをくれたんだ
抑えきれない思いをこの声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける